スポンサードリンク

記事検索

カテゴリー別アーカイブ

月別アーカイブ

ブログランキング

ブログランキング参加中 クリックお願いします!


洋楽ランキング

にほんブログ村 音楽ブログ 洋楽へ
にほんブログ村

スポンサードリンク

Shania Twain(シャナイア・トゥエイン)の洋楽歌詞和訳カタカナまとめ一覧

Shania Twain(シャナイア・トゥエイン)の洋楽歌詞和訳カタカナまとめ一覧。
洋楽歌詞和訳カタカナまとめ「ウタリク」では、管理人が好む洋楽の名曲たちの歌詞と和訳、そして和訳はいらないからカラオケで歌いたいという方のために英語の歌詞をカタカナ表記をまとめています。

Shania Twain(シャナイア・トゥエイン)のプロフィール

Shania Twain(シャナイア・トゥエイン)の洋楽歌詞和訳カタカナまとめ一覧

Shania Twain(シャナイア・トゥエイン)は、カナダ、オンタリオ州出身のカントリー・シンガー(カナダ国籍)。これまでに1億枚の以上のレコードを売り上げ、彼女はカントリー・ミュージック史上だけでなく、広くは全音楽史上で最も売れているアーティストの一人であり、5つのグラミー賞、27のBMIソングラーター賞を受賞、Canada's Walk of Fame及びthe Hollywood Walk of Fameにその名前が刻まれています。

幼い頃母親は離婚、先住民族オジブワ族の義父のもとで異父兄弟3人と共に育てられますが、両親の夫婦げんかと貧しさで家庭は崩壊寸前でした。そんな家庭を遠く離れて、彼女はわずか8歳の時バーで歌い始め、10歳で詩を書き、13歳でバンドのボーカルをやり、1983年、高校を卒業すると本格的に音楽活動に専念することになります。

その際にトロントのラジオDJ、Stan Campbellの目にとまります。彼はたまたまカナダのミュージシャンTim Denisのアルバムを制作中であったことから、その中の一曲のバッキング・ボーカルをやることになりました。
Campbellは彼女を音楽関係者に紹介、その一人、1976年チャートインしたこともある地元のカントリー・シンガーMary Baileyに出会います。BaileyはCampbellから彼女を譲り受ける契約を行い、彼女を毎日自宅で何時間も練習させました。
1985年、Baileyは彼女を連れてナッシュビルにいる友人、レコードプロデューサーのTony Miglioreを訪ねます。MiglioreはKelita Haverlandのアルバムを制作中でトウェインはバッキング・ボーカルをやることになったのです。同時に行った彼女のデモが不首尾に終わったのは、彼女がカントリーではなく、ロック歌手を目指していたのが理由でした。彼女はトロントに戻り、以降はロック歌手ではなく、カントリー・ミュージックに集中すべきことを確信します。

彼女は自分の名前を、オジブワ族由来の「我が道を行く」を意味するShaniaに変更、1993年、彼女のデビューアルバムがリリースされ、始めてカナダ以外の好評を博することになりました。2枚目のアルバム「The Woman in Me(ザ・ウーマン・イン・ミー)」は彼女の最初の夫であり音楽プロデューサーのRobert John "Mutt" Lange(ロバート・ジョン・"マット"・ランジ)がプロデュースしたもので、このアルバムで火が付いて爆発、その後の大活躍に繋がって行きます。

 

 

Shania Twain(シャナイア・トゥエイン)の洋楽歌詞和訳・カタカナ記事一覧

 

このエントリーをはてなブックマークに追加
コメント
コメントする